13.良い翻訳とは何か

何を基準に「これは良い翻訳だな」と言えるのでしょうか。10人通訳者がいれば10通りの通訳がある通り、10人翻訳者がいれば10通りの翻訳があるのは当然です。最後は「好みの問題」となってしまうかもしれませんが、私は以下の考えが「良い翻訳」の基準の一つかなと思います。
『オリジナルのテキストにある文章の呼吸、リズムのようなものを、表層的ではなく、より深い自然なかたちで日本語に移し換えたい』(村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』文春新書)

さて、ここで通訳・翻訳業界で仕事をする人であれば一度は読んだことのあるエッセイ『不実な美女か貞淑な醜女』(米原万里・著)をご紹介します。まず、タイトルが強烈ですが、このエッセイによると、「不実な美女 Bells Infideles」」とは「美しいが、原文に忠実ではない翻訳」を意味するフランス語のことだそうで、オリジナルに忠実、つまり語彙も文法体系もオリジナルのままであれば「貞淑」であり、オリジナルに忠実ではない場合は「不実」、そして、出来上がりの翻訳文が整っていれば「美女」、不自然であれば「醜女」と、翻訳には四通りの組み合わせ、「貞淑な美女」「不実な美女」「貞淑な醜女」「不実な醜女」があると説明しています。

この四つのうち、単純にどれが翻訳として一番素晴らしいかというと、間違いなく「貞淑な美女」(オリジナルの語彙も文法体系を忠実にとらえ、訳文も自然で美しい)であり、一番やってはいけないのが「不実な女」(オリジナルの語彙も文法体系もとらえておらず、訳文も不自然でぎこちない)となります。

しかし、冒頭でご紹介した村上春樹の言葉にある「オリジナルのテキストにある文章の呼吸、リズムのようなものを、表層的ではなく、より深い自然なかたちで日本語に置き換える」を「良い翻訳」だと考えると、常に「貞淑な美女」ではいられないのが実情です。少し例を挙げて説明しましょう。次の英文の翻訳を考えてみてください。

You have to make lemonade out of lemons.

「あなたはレモンからレモネードを作らなければならない」という訳だと、「貞淑」ではありますが、「美女」とは言えない訳になってしまいますよね。lemonには果物のレモン以外に「欠陥品」という意味もあり、「最悪の状況に負けてはいけない」「逆境を上手く利用しなさい」と訳すと意味が分かります。先ほどの四つの分類で言うと「不実な美女」になるわけです。

オリジナルの語彙、品詞、文法をそのまま語と語を一対一の対応で「形式」を考えて訳すべきなのか、形式よりも「内容」を中心に訳すべきなのかは、何を誰に翻訳するかによって大きく異なります。正確な情報伝達が目的であるビジネス文書であれば当然ながら「形式」が重視されますし、読者をその世界に引き込む小説であれば「内容」が重視されます。辞書に書いてある訳を基本として、状況、つまり依頼された翻訳の種類に応じて、どのように表現すればいいのかを常に考えながら翻訳に取り組むことが、プロへの第一歩です。

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