3.直訳は悪か

「翻訳は直訳しちゃダメですよね」と、よく学生から質問されますが、「ダメです」と言い切れないし、「ダメじゃないです」とも言えないのが翻訳の難しく、そして醍醐味でもあります。

実務翻訳などでは「情報の正しい伝達」が一番の目的ですから、原文等価のルールを崩さずにオリジナルの内容をそのまま日本語に変えて伝えます。特に、法務系のドキュメントを訳す際は、文体があらかじめ決まっていますから、指定通りの日本語を使う必要がありますし、大量発注の案件では、分業で翻訳を行いますので、個性があまり残らない直訳が必然と好まれます。では、純文学の場合はどうでしょうか。

このコラムを読んでくださっている皆さんには、一人一人が各々の日本語を使用する際の文体というものがあります。一つとして同じものはありません。日本人であれば、日本語は母語ですから意識することなく使用していますが、必ず「あなた」だけの文体があるわけです。シンプルにものを言う人、おもしろく話をする人、四字熟語をよく使って話をする人、さまざまな語彙を使って表現力豊かに話をする人、など実は自分は気付いていないだけで、どれが正しい正しくないという問題ではなく、あなたの使う文章には「個性」があるのです。

ですから、英語で書かれた外国の小説をあなたが訳す場合も、日本語になった時点であなたの個性がまったく消えることはないのです。「翻訳は直訳しちゃダメですよね」という質問にある「直訳するかしないか」の問題ではなく、それよりもオリジナルの文章のリズムをどう処理するか、が大事なこととなります。小説的なセンス、感覚は読書をすればするほど磨かれていき、人は小説を黙読している時、リズムに乗ってスラスラと頭の中で読んでいきます。どうもよく分からない、なんか不自然、と思ってしまうのは、このリズムが確立されていない文体だからです。

私事の話になりますが、私は江國香織の書いた文章が大好きで、何時間でも読んでいられるのですが、これは彼女の作りだす文体のリズムが、読んでいて非常に心地良いからです。翻訳の場合も、直訳か意訳かということではなく、自分だけの文体は必ずあるわけですから、オリジナルのリズムをどうそこに合わせていくかが鍵と言えるでしょう。作者やその作品への強烈なリスペクトや愛情なしに、このリズムを掴むことは出来ません。オリジナルを書き上げたのはあなたではありません。作者の創り上げた世界を一語一句オリジナルのまま翻訳をしてみて、それを自分のスタイルに落としていくのも一つの翻訳の手段です。

「英語が好きだから翻訳をしたい」、「この作品が好きだから翻訳をしたい」はまったく別物です。語学力はテクニックですから、意図的に学習して習得することができますが、小説を理解するセンスはある程度、才能がそこには介在すると思います。「英語が好きだから~」の前者の人は「翻訳とは~すべきである」と言い切っているハウツー本に頼る傾向が強く、翻訳テクニックだけ上手になってオリジナルのリズムを無視した薄っぺらく、つまらない翻訳を作ってしまうこともありますが、オリジナルへの愛情を大切に自分の言葉で、読者にリズムを届けるような翻訳をしてみましょう。

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